le Murmure de Juma☆Jumaのつぶやき

2018年1月から青年海外協力隊のコミュニティ開発隊員として、西アフリカのセネガルに来ました。日々の生活や活動を通して思ったことをつぶやきます。セネガルで過ごす日々にどんな出会いが待っているのか。楽しいこと辛いこと歯痒いこと。これからの2年を通して、自分の心がどんな風に変わっていくのか。大きな挑戦への小さな歩みを記すためのブログです。

初めての会議。

水曜日に初めて会議してきました。

場所はジョフィオール市役所。

 

この3か月、
言葉がよく分からないなかでも、
とりあえず経験だと思って
毎月配属先の会議に出席していました。

 

でもこの日は、会議を開く立場。

 

もちろんセネガルに来てから、
自分が会議を開くのは初めてです。

 

この日は、同任地の野菜栽培の隊員と一緒に、
今月末にジョフィオール市で開催を予定しているイベントの企画をプレゼンしてきました。

 

市長さんと話をして、開催のOKをもらっていたものの、この日は正式に市内の委員会の役員の方々に開催の許可をもらいます。

 

たぶん20人くらいかな~
と思っていた会議。

 

フタを開けてみたら
50人近い人が集まりました。

 

パソコンが苦手な私ですが、
一緒にイベントを企画している彼女のおかげで、プレゼンのパワーポイントはバッチリです。

 

が、

 

会議室の窓にカーテンがない。
壁が汚い。
プロジェクターの画質が悪い。

 

と、3つの障害に阻まれ、
パワーポイントがよく見えません。


セネガルらしいハプニングです。笑

 

そんな不安と緊張を抱えながらの初会議は、

マラブーと呼ばれる
イスラムの宗教指導者のお祈りで始ました。

 

私と彼女がフランス語で話したことを、
市役所の役員の男性が現地語に直して
皆に伝えてくれます。

 

助かります。
彼のおかげで会議が成り立ちました。

 

お祭り好きなセネガルの人たち。


私たちの提案を

「大きなイベントにしよう!」
「1日だけじゃなくて2日間にしよう!」

と、喜んで受け入れてくれました。

 

プレゼンが終わって、

何が助言や意見があれば言ってください

と言うと、

一人の男性が

 

「戦後の日本は何もなかった。なのにそれから60年、70年で日本は世界のトップになった。」


「山のてっぺんにいる日本人が、山の下にいるセネガル人のところに降りてきて、登りかたを教えてくれている。」

 

「本当にありがとう。」

 

と、熱心に語ってくれました。

 

他の参加者の方も、
普段の私たちの活動を改めて評価してくれて、
たくさんの「ありがとう」を貰った会議でした。


「なぜ沢山ある町のなかで、ジョフィオール市に日本のボランティアが3人もいるのか?」

 

という質問に対して、

 

「これは私の意見だけど、あなたたちにポテンシャルがあるからだと思う。ジョフィオールの人は温かいし、気候も穏やかでとっても素敵な町。わたしも彼女もジョフィオールが大好き。だからこれからもボランティアがこの町に来てジョフィオールを好きになってくれたらいいなって思っている!」

 

と答えたら、
とっても嬉しそうにしていたジョフィオールの人たち。

 

出席者の健康と
イベントの成功を祈って幕を閉じたこの会議は

初めての会議にしては上々の出来だったんじゃないかとの自己評価。

 

新しく色んな人と知り合うことができて、
声をかけられる機会も増えました。

 

みんなの期待を背負って臨むイベント。
気合いを入れて準備しなければっ(о´∀`о)q

 
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📷5月17日からラマダンと呼ばれるイスラムの断食月が始まりました。約1か月、日中の飲食はしません。99%がイスラム教徒のジョフィオール市。私も職場や外では飲食はしていません(体調を考えて家で水は飲んでいます)。毎晩19時半過ぎにモスクから聞こえる声が、「食べてもいいですよ!」の合図。一日の最初の食事はパンとカフェオレ、そしてデーツ。空っぽのお腹を温めます。このあと22時頃にメイン料理を食べます。