le Murmure de Juma☆Jumaのつぶやき

2018年1月から青年海外協力隊のコミュニティ開発隊員として、西アフリカのセネガルに来ました。日々の生活や活動を通して思ったことをつぶやきます。セネガルで過ごす日々にどんな出会いが待っているのか。楽しいこと辛いこと歯痒いこと。これからの2年を通して、自分の心がどんな風に変わっていくのか。大きな挑戦への小さな歩みを記すためのブログです。

緊張の95分。

昨年の12月からずっと

「この日セネガルにいるんだよなー」

と思っていた日が来て、

そして過ぎ去りました。


多くの日本の皆さまと同じく、

教科書の世界地図の西の果てから
サムライブルーを応援しましたよ!


W杯2戦目 日本VSセネガル


もちろん家にテレビがあるわけもなく

すらすらと動画が見れるネット環境もなく。


お世話になっているセネガル人のお宅で観戦です。

 

日本の知り合いから


「ここ最近、セネガルのことを取り上げているメディアが多くてプチセネガルブームだよ!」


と連絡が来ましたが、


セネガルでも
試合前の新聞の1面は日本の記事だったり、

 

見知らぬ人から

 

「明日はセネガル、ジャポンだ!」

 

と声をかけられたりと

 

"ジャポン(日本)"

 

という言葉をたくさん聞きました。

 

「日本と中国って同じ?」
「セネガルと日本、セネガルとフランスどっちが遠い?」

 

という人がいる町で

 

コロンビア戦の次の日には

 

「カガワ!サカイ!オサコ!」

 

と声をかけられ驚きました。


ジョフィオールでは
私が想像していたよりも多くの人がテレビを持っていますが、もちろん皆ではありません。

 

テレビのある家や商店に集まって観戦します。

 

今日お邪魔したお家では
セネガル人6人と日本人1人での観戦でした。

 

正直に、簡潔に感想を言うならば

 

気まずかった、

 

とっても。

 

もともとサッカーが好きだし
応援している選手もいるので
日本を応援します!宣言はしていました。

 

日本から持参した日本代表のマフラータオルも
しっかりカバンに入れてきました。

 

でも、気まずくて出せなかった。笑

 

その大きな理由、

セネガルの人の日常的な感情表現。

 

そのひとつに舌打ちがあって

そのしぐさの重みは日本人の私たちと全然違うんだろうけれど

 

でも、

 

6人同時に舌打ちは怖いです( ;゚Д゚)

 

日本がセネガルの持っていたボールを奪ったとき、

私が心の中で「ナイス!」と思ったとき、

 

部屋に響く6人の舌打ち。笑

 

さらに
試合が進むとテレビに向かって
怒ってなにか言っている、

 

しかも現地語で。

 

現地語だから何を言っているのか分からず
日本の悪口かな?とか思ってしまうこの想像力。

 

でも、ふとした瞬間に

 

「なんでこの選手と交代なんだ!?」
「オレはこの選手が嫌いなんだ!」

 

と言っているのが分かったとき、

あぁ、セネガルに怒っていたのか

とちょっとホッとしたりもしました。

 

緊張の95分。
(ロスタイム1分、4分だったので緊張していたのは95分間)


終了のホイッスルと同時に

また6人の舌打ち。

そして沈黙とため息。

 

ひと言目に何を言われるのかと
内心ビクビクしながら構えていたら

 

「セネガルと日本で点をシェアしたね!」

とまさかの笑顔。

 

そして試合中の雰囲気が嘘だったかのように
あっさりと帰宅する人々。

 

終了ホイッスルの5分後には

テレビのある部屋には私以外誰もいません。笑

 

帰り道に
砂地でサッカーをする青年たち。

 

「ねぇ!日本人でしょ?」
「W杯見た?」

『見たよ。引き分けだったね』

「セネガルが勝つと思ったのに!セネガルの方が強いんだぜ!」

と言いながら手を差し出すひとりの青年に

 

『…私のこと叩かないよね?』

 

と言ったら、

 

「叩かないよ!日本人と友達になりたいから挨拶したんだよ!」

と笑われました。

 

気まずさのあまり臆病になりすぎていた私。

 

帰宅してから

きっと彼らは自分の中の感情に素直で

 

私がもっと盛り上がって
ひとりで日本を応援していても

 

セネガルにボールを奪われたときに
舌打ちしたとしても

 

私みたいにびくびくしたりしないんだろうな、
と振り返っていました。

 

試合後に会った知り合いに

 

「引き分けだったけど、いい試合だったね」

 

というと、

 

ほとんどの人(今のところ全員)が

 

「セネガルが勝ってないから、いい試合じゃななかった」

と。

 

日本人の友人も同じことを言われたと話していました。

 

もちろん私だって
日本が勝ったらその方が嬉しいけど

 

お互いの感情を中和する言葉をかけた私に、

やっぱり素直なセネガルの人。


その素直さが羨ましくもあり、

でも同時に、
中和の言葉を自然とみつける日本人の良さ
みたいなものを感じた瞬間でもありました。

 

さて、直接対決が終わったいま
とにかく日本とセネガルが共に決勝リーグに進出することを願うのみ!

 

両試合ともこちらでは木曜日の14時から。

 

サムライ、リオン、ファイト~(*´∀`*)尸"

※セネガルでは選手たちをリオン(ライオン)と表現しています。

 


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📷知り合いのおうちの薄型テレビ。画質も良くて日本と同じように一つひとつのシーンがはっきり見えました。ボックステレビのおうちも多いのでサッカー好きの私にはラッキーでした。

午前5時過ぎに思うこと。

ブログを始めたとき
2年、24か月のセネガルでの活動を

24時間に例えてみました

そうすると、今は午前5時過ぎ。

 

もしここが日本なら
朝型人間の私はキッチンで
目覚めのコーヒーを淹れている時間。

 

バッグに折り畳み傘をいれるかどうか、
天気を知りたくてテレビを付ける。

 

そんな朝の5時過ぎに
5か月間のセネガルでの生活を
振り返ってみました。

 

私と違う価値観の人もいるし
私が書いたことに
「それはちがうんじゃないか」
と思う人もいるかもしれません。

 

それに私自身の考えも
この先の活動を通して変わっていくかもしれません。

 

それでも今この5時過ぎに
自分が感じていることを素直に書いてみます。

 

と言っても
新しい環境での5か月間、
思ったことはたーくさんあります。

だから今回は、これだけ。

 

私は誰のために、何のために青年海外協力隊としてセネガルにいるのか。

 

5か月間、いろんな人に会いました。

 

配属先の病院の人、
ジョフィオール市役所の人、
市の委員会の人、

 

アパートの大屋さん、
学校の先生、
家具屋のお兄さん、

 

向いのおうちのお母さん、
近所の子どもたち、
商店のおじさんたち。

 

きっと一人ひとり悩みを抱えているんだろうけど、
みんな楽しそうに暮らしています。
私にはそう見えます。

 

私の周りには
食べものも住む場所もないほど貧しい人は
ほとんどいません。

 

この「ほとんど」は
断定を避けるために使っているのであって
現時点では知り合いに
そうゆう人はいません。

 

「仕事がない」
「お金がない」
「セネガルの暮らしは厳しい」
「日本は仕事がたくさんあって、お金もたくさん貰えていいな」

 

そんなことを話す彼らは笑顔です。

 

「仕事があって、お金も貰える」

その暮らしが果たして、セネガルの人にとって
穏やかな暮らしなのか。

 

私には分かりません。

 

毎日お昼ごはんのあとに1時間のティータイム。

 

仕事が終わらなくても
時間になれば帰って家族と過ごす。

 

仕事中、すき間時間を見つけては
YouTubeでドラマ観賞。

 

その生活を手放すことは
彼らにとって厳しいことではないのかな。

 

私には分かりません。

 

だからみんなに

 

「もし毎日アタヤ(セネガルの紅茶)を作って飲む1時間働いたら仕事がとっても捗るよ」

 

そんなことは言えません。


仕事が捗ること

その価値が

 

友達とお茶を飲みながらゆっくり過ごすこと

その価値を上回るのか。

 

きっといまセネガル人の友達にこの問いを投げかけたら

ほとんどの答えはNoでしょう。


じゃあ私は何のためにセネガルに来たのか。

 

この5か月間、考えていました。


そして現時点での自分なりの答えは、

 

私はきっと分かれ道を作りに来たんだ

 

ということ。


「こっちの道に進んだら、こんなゴールが見えるかもしれないよ」

 

という可能性の看板を建てて、


その人の歩む道に新しい分岐点をつくること。


それは必ず進まなきゃいけない道ではなくて、

 

「こっちの道もあるよ」

 

という選択肢の一つ。

 

どの道を選ぶかはその人次第。


思うように生きることは簡単なことじゃないし

選んだ道が望んだゴールに着くのかは分からない。

 

もしかしたら、別の道の方が良かったのかもしれない。

 

でもそれは、セネガル人も日本人もどの世界の人も同じ。

 

自分が選ばなかった道の先にあるものは
分からない。


ただ、

 

この道を行かなきゃいけない

 

という生き方ではなく

 

この道を選んだ

 

という生き方。


そんな風に生きることのできる人が

ひとりでも増えればいいな、と思います。

 

例えば、

 

食生活を改善することで
健康な体を作る。

 

それは必ずやらなきゃいけないことじゃなくて、

選択肢のひとつ。

 

好きな食事を我慢してまで
長生きしたくない。
我慢したって事故で死ぬかもしれないし。

 

そう思う人がいたら
それはそれでいいと思うんです。

 

ただ、

 

食事を改善することで
健康な体を手入れることができるかもしれない

 

健康な体を手に入れたら
もっとお給料のいい仕事が見つかるかもしれない

 

その可能性を知ってもらいたい。

 

どの道を選ぶかは、その人次第。

 

セネガルに来て
私自身のなかにも新しい分岐点ができました。

 

どの道をいくのか
じっくり考えて自分で選びます。

 

協力隊に応募するとき
フランス語圏のアフリカて2年間ボランティア活動をするか、
ワーキングホリデーで1年間フランスに行くか、

迷いました。

 

今でもたまに

 

「ワーホリでフランスにいたら今ごろどうなってたかな」

 

と考えます。

 

でも、もちろん分かりません。

 

ただ、
私には選択肢があって
その中から協力隊になるという道を選びました。

 

だからこの24か月

 

嫌なことがあったら
「自分で選んだ道なんだから仕方ない」

 

いいことがあったら
「この道を選んでよかった」

 

そんな風に考えながら
過ごせたらなと思っています。

 

私がセネガルにいる間に
どれだけの人の道に、どれだけの分かれ道を作ることができるのか。

 

そして自分の中にいくつの分かれ道ができるのか。

 

残り19時間、道作りに励みます。

 

そんなことを思った午前5時過ぎでした。

 


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📷舗装された道が1本だけはしるジョフィオール市。この真っ直ぐな道にいくつ分岐点を作れるかな。

ラマダンの終わり。

昨日は"コリテ"と呼ばれるイスラムのお祭りでした。

 

約1か月間の断食月(ラマダン)の終わりをお祝いする日です。

 

どんな風に祝うのかというと、

 

とにかく朝から食べる!

 

とのこと。笑

 

ラマダン中、イスラム教徒の人は

日が出ている間は飲食しません。

 

イスラムでは

月の満ち欠けが暦の基準になっていて、

1年は365日ではなく354日。

 

そのため毎年少しずつラマダンの時期がずれます。

 

今年のラマダンは5月中旬~6月中旬。

 

セネガルで最も日が長いのは5月~6月。

 

つまり今年のラマダンは、

飲食禁止の時間がとても長いということ。

 

朝5時半~19時間半までは飲食禁止でした。

 

それがやっと終わりを迎えたのだから、

お祭りも盛り上がるわけです。

 

が、

私はコリテというお祭りをよく分かっていなかった。

 

まさか朝から食べまくるとは思っていませんでした。

 

なんなら当日の朝まで、

今日の19時半にモスクからお祈りが聴こえたら、

食べまくるんだと思っていました。

 

 

「コリテにおいで」

 

と言われたおうちに夕方に行ったら、

 

「なんで昼間に来なかったの?待ってたのに!」

 

と怒られてしまいました。

 

それでも2軒のおうちを訪問して、

 

お腹いっぱいご飯を食べました。

 

セネガルの人は、

お祭りに合わせて色々なものを新しくします。

 

コリテのために新しく服を新調したり、

 

髪の毛を結い直したり。

 

昨日おじゃましたおうちでは、

部屋の入り口のカーテンも全部新しくなっていました。

 

新調した服を着た子どもたちは、

お小遣いやお菓子を貰いに

近所のおうちを回ります。

 

お世話になっているおうちに

飲み物を持っていったら、

 

プレゼントに水色の素敵な布を貰いました。

 

スタートが遅れた初コリテでしたが、

 

鶏肉のサラダと、

モロッコクスクスを食べて、

大満足の1日でした。

 

コリテは鶏肉、タバスキは羊肉を食べるのが伝統のようです。

タバスキについてはまた8月に書きますね!

 

次のお祭りは朝から楽しむぞ!

 
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📷鶏肉サラダ。野菜たっぷりスパイシーでおいしかった!



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📷モロッコクスクスはセネガルクスクスとだいぶ違います。モロッコクスクスの方が日本人には食べやすいかな。

ごみを集めるチュバブ。

セネガルでは、外国人のことを

 

「チュバブ」

 

と呼びます。


道を歩いていると、子どもたちから

「ヘイ!チュバブ!」

と声をかけられることもしばしば。


そんなチュバブの私は最近、

洋服の仕立て屋さんを回って、

 

「いらない布のはぎれを下さい」

 

と床に散らばった布を集めたり、

お店の裏のゴミを漁ったりしています。


集めたはぎれを使って
イベント会場に設置する飾りを作ります。

 

輪投げの輪も針金とはぎれで作ります。

 

ゴミ捨て場で糸くずだらけの布を広げて

 

「これは使える!」

 

「これは小さすぎる」

 

などと話しているチュバブを

笑いながら見ているセネガルの仕立て屋さんたち。

 

毎日拾った布を切っては、
張り付けたり、巻き付けたり。

 

コツコツと頑張ったおかげで、
かわいい飾りと輪ができました。


アフリカらしいカラフルな布が
会場を飾る日が待ち遠しい!

 

ゴミなんか集めて何してるんだ?このチュバブたち。

 

そう思ってる人が

あぁ、これを作ってたのか!

と気がつく日が楽しみ。


ゴミを集めるチュバブから

 

ゴミから何かを生み出すチュバブになれるよう

 

あと2週間頑張ります。

 


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📷ひたすら布を△に切って作りました。これは飾りの一部で、もっともっとながーい飾りを作りました。

市内お願い行脚。

先週の水曜日に会議が終わり、
無事に開催が決まった今月末のイベント。


準備しなきゃいけないことが
いーっぱい!

まずは、会場の確保とスタッフ集め。


当日は他の町で活動する隊員もお手伝いにきてくれる予定ですが、

やっぱりセネガル人の協力は必須です。


と言うことで、昨日から

 

「ジョフィオール市内お願い行脚」

 

を開始しました。

 

1日目の昨日。

 

まずは、病院の警備のお兄さん。

 

「他の町から日本人がくるよ!女の子もくるよ!」

 

と言ったら、笑顔で当日のチケット売りを引き受けてくれました。笑

 

そして一緒にイベントを企画している隊員が
ステージの司会者を確保!

 

4月4日の独立記念イベントで司会をしていた男性を市役所で見かけ、お願いしてみたところ引き受けてくれたとのこと。


もうBien joué (Good Job!)です!

 

そして、夕方は二人揃って会場となる青年会館へ行脚。

どうやら学生自治の会館のようで
秘書の若いお兄ちゃんに話すと、

 

「代表の学生宛に申請の紙を出せばOKだよ!」
「大きなイベントにしよう!」

 

と、快諾。


そして今日は行脚2日目。

 

医療機関で1か月以上ストライキが続いていて
ちょっと頼みづらいな、、
と思いながら配属先へ。

 

保健センター長に企画を説明して

 

配属先の病院から保健の啓発のブースにスタッフを4人出してほしい

 

とお願いしたところ、

 

「もちろんだよ!看護師長と相談して4人決めるね!」

 

と、心配とは裏腹にあっさりと配属先の協力を得られることに。


そして、お昼前には市内の職業訓練校へ。

 

日本の料理を紹介するブースのお手伝いを
訓練校の調理学科の生徒に頼むためです。

 

学校のディレクターに話すと、

 

「自分も栄養学を学んでたから興味がある」
「もちろん協力するよ!」

 

と、こちらも笑顔で引き受けてくれました。

 

そして夕方は、
知り合いの小学校の先生の家へ。

 

当日、ブースのお手伝いをお願いしたいと話したら、

 

「もちろん私は手伝うよ!あと他の先生にも頼んで何人か集めるよ!」

 

と、心強い言葉を頂きました。


ジョフィオールに来てから、

 

「自分は何もできてないな~」

 

と思うことがたくさんあったけど、


この行脚で、

 

「いつの間にかこうして色んな人と繋がることができていたんだな~」

 

と、なんだか嬉しくなりました。

 

明日は、
食品ブースの出展許可と、テントや音響の確保です。

 

まだまだ続く市内行脚。

 

今まで自分が築いた縁と
これから自分が出会う縁を大切に

 

ジョフィオールの人の記憶に残るイベントを
ジョフィオールの人と一緒に
作りたいな、と思います。

 

やることが山のようにあって

ホントに出来るのか?

と、急に不安になることもあるけど、

 

一緒に準備をする仲間がいる心強さを武器に
あと3週間、駆け抜けたいと思います!

 


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📷イベントに使うものは出来る限りリサイクルで作ろうと奮闘中。こちらは針金とはぎれで作った輪投げの輪。私は超がつくほど不器用ですが、一緒に準備している彼女が可愛く仕上げてくれました。感謝!

初めての会議。

水曜日に初めて会議してきました。

場所はジョフィオール市役所。

 

この3か月、
言葉がよく分からないなかでも、
とりあえず経験だと思って
毎月配属先の会議に出席していました。

 

でもこの日は、会議を開く立場。

 

もちろんセネガルに来てから、
自分が会議を開くのは初めてです。

 

この日は、同任地の野菜栽培の隊員と一緒に、
今月末にジョフィオール市で開催を予定しているイベントの企画をプレゼンしてきました。

 

市長さんと話をして、開催のOKをもらっていたものの、この日は正式に市内の委員会の役員の方々に開催の許可をもらいます。

 

たぶん20人くらいかな~
と思っていた会議。

 

フタを開けてみたら
50人近い人が集まりました。

 

パソコンが苦手な私ですが、
一緒にイベントを企画している彼女のおかげで、プレゼンのパワーポイントはバッチリです。

 

が、

 

会議室の窓にカーテンがない。
壁が汚い。
プロジェクターの画質が悪い。

 

と、3つの障害に阻まれ、
パワーポイントがよく見えません。


セネガルらしいハプニングです。笑

 

そんな不安と緊張を抱えながらの初会議は、

マラブーと呼ばれる
イスラムの宗教指導者のお祈りで始ました。

 

私と彼女がフランス語で話したことを、
市役所の役員の男性が現地語に直して
皆に伝えてくれます。

 

助かります。
彼のおかげで会議が成り立ちました。

 

お祭り好きなセネガルの人たち。


私たちの提案を

「大きなイベントにしよう!」
「1日だけじゃなくて2日間にしよう!」

と、喜んで受け入れてくれました。

 

プレゼンが終わって、

何が助言や意見があれば言ってください

と言うと、

一人の男性が

 

「戦後の日本は何もなかった。なのにそれから60年、70年で日本は世界のトップになった。」


「山のてっぺんにいる日本人が、山の下にいるセネガル人のところに降りてきて、登りかたを教えてくれている。」

 

「本当にありがとう。」

 

と、熱心に語ってくれました。

 

他の参加者の方も、
普段の私たちの活動を改めて評価してくれて、
たくさんの「ありがとう」を貰った会議でした。


「なぜ沢山ある町のなかで、ジョフィオール市に日本のボランティアが3人もいるのか?」

 

という質問に対して、

 

「これは私の意見だけど、あなたたちにポテンシャルがあるからだと思う。ジョフィオールの人は温かいし、気候も穏やかでとっても素敵な町。わたしも彼女もジョフィオールが大好き。だからこれからもボランティアがこの町に来てジョフィオールを好きになってくれたらいいなって思っている!」

 

と答えたら、
とっても嬉しそうにしていたジョフィオールの人たち。

 

出席者の健康と
イベントの成功を祈って幕を閉じたこの会議は

初めての会議にしては上々の出来だったんじゃないかとの自己評価。

 

新しく色んな人と知り合うことができて、
声をかけられる機会も増えました。

 

みんなの期待を背負って臨むイベント。
気合いを入れて準備しなければっ(о´∀`о)q

 
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📷5月17日からラマダンと呼ばれるイスラムの断食月が始まりました。約1か月、日中の飲食はしません。99%がイスラム教徒のジョフィオール市。私も職場や外では飲食はしていません(体調を考えて家で水は飲んでいます)。毎晩19時半過ぎにモスクから聞こえる声が、「食べてもいいですよ!」の合図。一日の最初の食事はパンとカフェオレ、そしてデーツ。空っぽのお腹を温めます。このあと22時頃にメイン料理を食べます。

新しい風。

ダカールへの上京や週末、祝日を経て、
約1週間ぶりの配属先。

 

朝、病院につくと

私が庭師と呼んでいる
病院の敷地の植物を管理しているおじさんが

 

「芽が出たよ!」

 

と嬉しそうな顔で教えてくれました。


私がダカールに行く前日、

同任地の野菜栽培の隊員が、

病院の敷地にあるレストラン小屋の近くに

レタスとトマトの種を植えました。


「病院なら毎日庭に水をまいている人がいるから頼めば野菜にも水をあげてくれると思う!」

 

と話したところ、

 

前から病院での野菜栽培に興味のあった彼女が、フットワーク軽く実行に移してくれました。


レストランで働いている女性に種を買い取ってもらい、収穫した野菜はレストランで使う

ということで、始まったこの試み。


病院で働く人にとっては
とても新鮮だったようで、


彼女が種を植えるのを興味深くみつめるレストランの女性。

 

水やりを快く引き受けてくれた庭師のおじさん。 

 

自宅でも育ててみたいと、種の買い取りを申し出た警備のお姉さん。


普段の私の活動では、

お喋りはするけれど、一緒に働く機会がなかった人たち。

 

そんなみんなの新しい顔を見ることができました。


数日前から病院のある地区で断水が続いているにも関わらず、

井戸から水を汲んできて、
種を植えた場所だけ毎日欠かさず水をあげてくれていました。

 

そのおかげで今朝、
かわいらしい小さな芽を見ることができました。

 

ここから収穫できるまで
まだまだ時間がかかるし
うまくいくか分からないけれど、

 

"うまく育ってほしい"

 

という気持ちは、

私と野菜栽培の隊員だけじゃなくて、

 

レストランの人も、庭師のおじさんも
警備のお姉さんも、


みんな同じなんだなと思ったら

ちょっと嬉しくなりました。


医療機関のストライキが続いていて、
なかなか思うように活動ができない今、

 

調べものをしたり、資料を読んだり、
何か工作してみたりと、

自宅でも出来ることを探していたけれど、

 

ストライキが終わってみんなが職場に戻ってきたときに、

 

その環境にちょっとした変化をもたらしておくのも面白いんじゃないかな、

 

と思えた出来事でした。


自分が率先して何かをすることが、

セネガルの人のイニシアチブを妨げてしまうんじゃないかと思っていたけど、

 

思いきって何か新しいことを始めてみるのも、

 

それを支えるための自発的なアクションを引き出すきっかけになり得るんだなと思ったら、

 

外からやってきた私だからこそ、
率先してやってみる価値がある

 

そんな風に思えました。

 

大きな変化じゃなくても

「Jumaが来てちょっと変わったよね」

そんな言葉を引き出せるように、頑張りたいなぁ。


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📷小さな小さなかわいい芽。元気に大きくなりますように。