le Murmure de Juma☆Jumaのつぶやき

2018年1月から青年海外協力隊のコミュニティ開発隊員として、西アフリカのセネガルに来ました。日々の生活や活動を通して思ったことをつぶやきます。セネガルで過ごす日々にどんな出会いが待っているのか。楽しいこと辛いこと歯痒いこと。これからの2年を通して、自分の心がどんな風に変わっていくのか。大きな挑戦への小さな歩みを記すためのブログです。

夢を旅した少年。

6月の終わりから始まった雨季が、
もうすぐ終わります(たぶん)。

 

雨のせいでインフラが安定しない日々を言い訳に
ブログを書くのをサボってしまった私。

また今日からちょっとずつ始めたいと思います。

 

前回の更新から1か月半、
イスラム最大のお祭りである

タバスキ(犠牲際)

を始め、

 

年次休暇を使って行った

モロッコ旅行

など、

 

書くことはいろいろあるけれど、
それはまた今度にします。

 

今日書くのは、
最近私の心をぐっと掴んだものについて。

 

首都ダカールにある
隊員専用宿舎(通称ドミ)には
歴代隊員が持ち込んだ本が並ぶ本棚があります。

 

隊員の多いセネガルだけあって、
かなりの数の本が並んでいます。

 

モロッコ旅行から戻った日、
他の隊員につられて、なんとなく本棚をみてみると懐かしい本を発見。

 

「これ、すごく素敵な本だったな~」

 

と思って、
再びページをめくってみました。

 

短いストーリーのなかに込められた
たくさんのメッセージ。

 

その一つひとつが力強く、

 

自分の歩む道は自分で決めなくちゃいけないんだ

 

と、語りかけてくる。

 

そして読み終わったあと、
なぜか知らないけどちょっとだけ
自分に自信がついたような気持ちになれる。

 

そんな1冊。


名作中の名作、

 

パウロ・コエーリョ著『アルケミスト』


いま私は旅の途中。
宝物を求めてエジプトを目指すサンチャゴと同じ。

 

3年前に勇気を出して、
居心地の良かった職場を離れて旅に出た。

 

いまはちょうどこの辺りかな。

 

サンチャゴがタンジェのクリスタル屋で働いたように

私はセネガルでボランティアをしている。

 

私にとってのピラミッドは
まだどこなのか、それが何なのか分からないけど、

答えはきっと前兆が届けてくれる。

 

前兆を見逃さず、
恐れを捨てて飛び込めば
きっといつか自分にとって一番大切な宝物を見つけることができるだろう。


この本を初めて読んだのは確か社会人になってから。

 

でももしもっと前に読んでいたら、
もっと早く飛び込む勇気が持てたのかもしれません。

 

大袈裟だけど、

中学生でアルケミストを読んで、
高校生でカラマーゾフの兄弟を読んだら、

 

人生において大切なことの
半分くらいをすごくいい時期に学べるんじゃないかと思う。

 

この歳になって読んでも
わくわくする物語。

久々に胸が踊る読書タイムでした。

 

読書の秋ならぬ読書の雨季。

 

さて、私だけの宝物を目指して
明日もまたこぴっと頑張ろっと♪f:id:hassy-juma:20181010071144j:image

📷モロッコ旅行中にザゴラ砂漠で見た朝日。この砂漠のもっと先、エジプトのピラミッドまで少年は夢を追いかけて旅をしたのです。

見守る強さ。

先週は任地のジョフィオールを離れて、
首都ダカールへ行ってきました。

 

同期のシニアボランティアが
学校のバカンス期間中に
2日間のサマースクールを開催、
そのお手伝いとして声を掛けてもらいました。

 

イベントが終わったいま思うのは、
参加させてもらって本当によかったということ。

 

前日準備を入れた3日間、
あっという間に過ぎたその3日間で、
たくさんのことを学ばせてもらいました。

 

障害児・者支援の隊員として
ダカールの学校で活動している同期。

 

私たちの大先輩であり、
気のおけない大切な仲間です。

 

遊びを通じて学ぶ今回のイベントは

この道のスペシャリストの彼女が用意した狙いに基づいて
5つのブースを出しました。

 

1つのブースには2つか3つの遊びがあって、
子どもたちは自分の好きな遊びを
好きなだけ楽しみます。

 

みんなそれぞれ得手不得手があって、
遊びを通じて彼らの持つ
大きな大きな可能性を見つける。

 

そんな2日間でした。 

 

そして、

 

障害をもっているから
これは出来ないだろう。

 

その先入観が
子どもたちが学ぶ機会を奪っていることを
身をもって知りました。

 

当日わたしが担当したのは、
"聴覚の記憶"のブースです。

 

1日目はカード釣り。


わたしが声に出して言った単語と同じ絵のカードを、
枝にひもと磁石をくっつけた釣りざおで釣るゲームです。

 

「ハサミ」

 

と言ったあと、
その言葉がカードを探して釣り上げるまで、
頭に残っているか。

 

それをみる遊びです。

 

2日目は2語文カルタ。


わたしが声に出して言った単語と同じ絵のカードをとるのですが、
今回は聞いて覚える単語が2つになります。

 

例えば


「赤い車」


といったら、

「赤」のカードと「車」のカードをとります。

 

もちろん、
子どもたちの障害にはそれぞれに差があって、
大人と同じように素早く見つけられる子もいれば、
そうじゃない子もいます。

 

ここで大事なのは、
一人ひとりのレベルに合わせること。

 

時間がかかっても
ちゃんと見つけられる子もいます。

 

聴覚だけでは見つけられないけれど、
見本のカードを見せれば
同じカードを見つけられる子もいます。

 

遊びが難し過ぎたら
その子ができるかも知れないことを
試してみます。

 

その時、大人の私たちに必要なのは
辛抱強く見守ること。

 

一つずつカードをみて
考えている子どもたちの目の前に
正解のカードを投げる。

 

そしてこどもが投げ込まれたカードを手にしたとき
大きな拍手と一緒に
「すごいねー!」という。

 

褒められた子どもは
とっても嬉しそうにしている。

 

一見、楽しそうな光景に見えるこの瞬間。


でもそれは
子どもたちから"学ぶ"という貴重な機会を
奪ってしまった瞬間なんだと
このイベントを通じて痛感しました。

 

子どもが時間をかけても
自分のチカラで正解を見つけること。

 

自分のチカラで物事に挑戦して、
課題を突破すること。

 

カードが多すぎてどうしても選べないなら、
正解を指さすのではなく、
まずはカードの数を減らしてみる。

 

10枚からは選べなくても
3枚からなら正解を見つけられるかもしれない。

 

こどもが自分で考えて、選んで、
自分の出来ることをどんどん掘っていくこと。

その大切さを知りました。

 

イベントの終わりにみんなで歌った曲、 
そのフランス語の歌詞を私なりに意訳してみたら、


私たちは国家のこども
私たちは祖国のこども
私たちはセネガルの若さ
私たちに教育を、私たちに教養を
私たちに知る喜びをください
いま私たちはそれを必要としています

 

となりました。

 

もともとの"知識"という単語を"知る喜び"と訳したのは
このイベントを通じて感じる想いがあったからです。

 

このイベント中、
迷って悩んでいるこどもたちを見て、
もどかしくて、正直ちょっとかわいそうな気もして、むずむずしてしまう自分がいました。

 

でも
悩んで、迷っているその姿が
学んでいる姿なんだなと思います。

 

それはこどもだけじゃなくて、
新しいことに挑戦しようとしている人
すべてに言えることなのかもしれません。

 

だからこれからは
見守る強さをもって、
いろんな人が自分のチカラで課題を乗り越える、
その姿をたくさん見られたらいいな、と思います。

 

たくさんの刺激をもらった今回のサマースクール。

自分の知らなかった世界をみることができました。

 

もし日本の企業で働いていたら、
一緒に仕事をする機会がなかっただろう新しい人との出会い。

それは協力隊員ならではの特権です。

 

この貴重な2年で、
今まで知らなかったいろんな世界をどんどん見てきたいなと思います!


f:id:hassy-juma:20180815094441j:image

📷1日目のカード釣り。自分では竿を握れない子もいれば、手を伸ばして遠くのカードを釣ろうとする子もいます。一人ひとりの個性にあった教育の機会ができるといいな。その実現のために奮闘する同期に敬意を込めて大きな拍手と声援を送りたいです。

わたしが与えられるもの。

なんだかちょっと
寂しくて悔しい気分です。

 

この半年間、
自分なりにいろいろやってみて
上手くいかなくてもプラスに捉えて
次頑張ろうって思ってたけど、

 

一緒に歩くことって
やっぱり簡単じゃないんだなぁ。

 

自分がやりたいことのイメージだけは
膨らんでくけど、

 

ある日
自分が思うような反応をえられなくって

 

ホントにそれを形にできるのかなって
急に不安になったり、

 

ある日

自分が思ったよりもいい反応が返ってきて


急に気持ちが明るくなったり、

 

きっと
わたしと同じような日々を過ごしている人がたくさんいるんじゃないかな。

 

わたしが与えられるものってなんだろう。

 

それは分岐点だと前に書いたけど、

 

分岐点をもらったからって
山を登らなきゃいけない今の状況は変わらない。

 

でももし
水と食糧とおいしい酸素をもらったら
今の状況はがらっと変わる。

 

でも、食べ終わったら
また歩き出さなきゃいけない。

 

次はきっと前よりももっと早く
水と食糧と酸素が欲しくなる。

 

それじゃ意味がない。

 

でももし、
いまこの時、水がなければ倒れてしまいそうなら、
分岐点よりも水と食糧とおいしい酸素なんだろう。

 

だって無理して歩いても
分岐点までたどり着けなかったら
意味がないから。

 

いま本当に必要なもの。


それを分岐点だと思う人には
ゴールにたどり着いたときの笑顔がきっと待っている。

 

それを水と食糧と酸素だと思う人には
笑顔と感謝の言葉が返ってくる。

 

自分の見ることのできないだろう未来に希望を乗せて
せっせと道を作る。

 

「こいつ何してるんだ?」
「そんなことしてるなら水をくれ!」

と思われても。

 

いつかこの人の道のどこかで、
この分岐点が役に立ってくれると信じて。

 

でもやっぱり
水を運んできた人に向けられる
満面の笑みと感謝の眼差しをみると

 

ちょっと寂しくなる。

 

今日はそんな日でした。

 

でも一つ、いいこともありました。

 

毎月、地道に提出している活動レポート。
配属先のトップからの返信メールに、

 

いつも分かりやすいレポートありがとう。
君の考えているプロジェクトは私たちにとって大事なことだから、一緒に経過を追っていこう。

 

と書いてありました。

 

例えお世辞であっても
今日の私には沁みました。

 

忙しくて、なかなか会えないから
本当に一緒になにかできるのか分からないけど、

 

もし一緒に歩いていけるなら、
私に与えられるものは、惜しみなく与えたい。

 

それはモノじゃなくて、いろんな方法。

 

雨から飲料水が作れるよ、
とか、

 

あの植物は食べられるんだよ
とか、

 

こうやって息を吸ったら呼吸が楽になるよ
とか、

 

そうゆうこと、

 

そうゆうことなんだよなぁ。


f:id:hassy-juma:20180807080611j:image

 

📷最近の通勤時の風景。雨季が始まって1か月でだいぶ緑が育ちました。動物たちが私の癒しです。

 

 

 

家族との再会と、外からの刺激。

先週の金曜日にお休みをとって
セネガルの家族に会いにいってきました。

 

セネガル隊員はみんな
任地に配属される前の3週間、
首都ダカールの隣にあるティエスという街で
現地語の語学訓練を受けます。

 

その間、
一人一家庭、セネガル人のお宅にホームステイです。

 

わたしは語学学校から歩いて10分ほどの
TINE家にお世話になりました。

 

セネガルで使っている
"Juma"
という名前もTINE家のパパがつけてくれました。

 

人によっては大変だったというこのホームステイ。

 

温かで賑やかな家族のおかげで
わたしにとってはとっても充実した3週間になりました。


都市間の移動許可が降りてから約2か月、
この度ついに、ずーっと会いに行きたいと思っていた
TINE家を訪れる日がやってきました!

 

久しぶりにくぐったTINE家の門。

なんにも言わずに来たから、

ちょっとだけ緊張しました。

 

懐かしの庭に出ると人がいっぱい。

嬉しそうにぎゅーっと手を握ってくれたママ。
私を見た瞬間、抱きついてきた妹。
部屋からすぐ出てきたパパ。

 

みんなの笑顔をみて
再会間もなくして既に

 

「絶対また会いにこよう!」

 

と心に決めている自分がいました。

 

それにしても約5か月の間の
みんなの変化と成長に驚きです。

 

弟はすごく背が伸びたし、
妹は姪っこのお世話をするお姉ちゃんになっていました。

 

その姪っこももう自分で立って歩けます。

 

あと1年半、
みんなの成長を見守ることができるのが嬉しい!

 

懐かしい再会に、心がパッと明るくなって
気持ちも前向きになりました。

ありがとうTINE家。

 

そして、この滞在にあたり
ティエスで活動する隊員の方々に本当にお世話になりました。

 

ジョフィオールに比べたら大都会のティエス。


おいしいものをたくさん食べました。

 

そして
たくさん笑って、たくさん話しました。

 

大人数が得意じゃないわたしは
今まであまり同期以外と交流する機会がなかったけれど、

 

一緒にTINE家に行ったり、
街のマルシェを案内してもらったり、
おいしい料理を作ってもらったり、
夜遅くまでUNOに付き合ってもらったりと

 

みんなの優しさにたくさん触れて、

新しい輪が広がったことがとっても嬉しかった!

 

帰国まで1年半の私と、あと1年の先輩、
そしてあと半年をきった先輩。

 

この滞在中に何度か話題にのぼった


"協力隊終わって帰国したらどうする?"

 

帰国したら就職活動をするから
どんな職種が向いているか悩んでいる人。

 

帰国したらもう一度海外に出る!と
行く国までしっかり決めている人。

 

やりたいことはいくつかあるけど、

今が活動の山場だから、今を精一杯過ごして
ホントに選ばなきゃいけない時期がきたら
いくつかある道の一つに決めるという人。

 


まだまだ先のことと思っていたけど、
みんなの話を聞いて
ちょっとずつでも考えないとな~と思ったりしました。

 

私にもまたいつか
「ワクワク」と「安定」を天秤にかける日がくるのかぁ。。


でもセネガルにきてから
自分が好きなもの、好きなことが

生活を通して浮き出てくるような感覚を味わったので
これからの自分の変化が楽しみだったりもするんです。

 

外からの刺激と、内からの発見。

 

その繰り返しを経て、
果たして1年半後に自分がどんな道を選ぶのか。

 

今の環境で感じる思いを大切に過ごしたいなと思います。


f:id:hassy-juma:20180726065240j:image

📷ホームステイ中ずっとわたしのお喋り相手だった妹とその姪っこ。5か月ぶりの再会♪

 

何が起きるか分からない。

セネガルが雨季に入ったころ
ちょうど日本も梅雨の時期。

 

インターネットの調子がよくなくて
最新の報道を見れない日もあるけれど

 

地震や大雨で甚大な被害が出ていることを知ってから
ネットが入るたびにニュースを追いかけています。

 

これ以上被害が拡大しないことを心から願っています。

 

東日本大震災の際も
人の力ではどうしようもできない自然の脅威と、
「生きる」ということの尊さ、そして難しさを見せつけられました。


話は少し変わりますが、
実は先日、会議のために上京したダカールで

 

「私の人生もう終わりだ」

 

と思った出来事がありました。


ダカールからの帰り道
郊外のバスターミナルへ向かうために
タクシーに乗っていたとき。

 

高速道路の出口付近で
運転手が「ちっ!」と舌打ちしたと思ったら、
急に車が右へ左へとジグザグ走行。

 

どんどん迫る料金所を前に

 

「あぁ、この人はこのままどこかに突っ込むのかもしれない」

 

と、
運転手の自殺行為に巻き込まれたんだろうと思いました。

 

すると車がジグザグ走行をやめ
まっすぐに料金所の出口に向かっていきます。

 

スピードを緩めることなく。

 

そしてそのまま
料金所の出口にある赤白棒に突っ込みました。

 

日本ではあの棒が柔らかいと知っていたけれど、
セネガルではどうか分からない。

 

というより、そんなことまで考える余裕はなく、
とりあえず後部座席で身を低くした私。

 

「バンッ!」

 

という音が車内に響き渡ったあと
そっと顔をあげると
乗客は無事、そして車も無事。

 

が、

車が止まらない。


ここにきてやっと

 

「ブレーキが効かなくなった」

 

と言うことが分かりました。

 

高速の出口を突破したわけですから
その先は下道。

 

そのまま交差点に侵入です。

 

ダカールの交通量を考えると
ノンストップで交差点を突っ切るのは
ほぼ不可能です。

 

このとき頭をよぎったのが

 

「私の人生終わったな」。

 

スローモーションとか
走馬灯とか

そうゆうのは一切なく

ただポツリとそう思っただけでした。


ですが、

こうしてブログを書けている通り、
奇跡的にも交差点を無事故で抜けることができました。

 

少しずつスピードが落ちた車は
露店の並んだ道で止まりました。

 

タクシーを乗り換えて
バスターミナルを目指す途中

さっきまでは感じる暇もなかった
「怖い」という思いが
ジワジワ込み上げてきました。

 

まるでアクション映画のワンシーンのような出来事。

 

頭のなかで何度も回想しては、
心臓がドキドキしました。

 

そして何度考えても、
あの状況で全員無傷で助かったことが
奇跡としか思えません。

 

ジョフィオールに帰って
知り合いのセネガル人に話すと

 

「神様がそうしなかったんだ。Jumaの人生はまだ続く」

 

と言われました。

 

命の終わりを
神様と結びつけて考えることは
今の私には否定も肯定もできないけれど、

 

「生きている」ということが
当たり前ではないんだということ、
人生いつ何が起きるか分からないということ、

 

それを思い知らされた出来事でした。

 

だからこそ

「生きている」この瞬間を大切に
いま出来る精一杯に挑戦しよう。

 

そんな思いを新たにしました。

 

それにしても
セネガルの交通事情は本当に大きな問題です。

 

ほとんどの車は
日本でいうところの廃車レベルです。 

 

自動車の故障も日常茶飯事。

 

あくまで私の意見ですが
国の財政を豊かにするためには

 

旅行者が安全に移動できる交通手段を
確立することも
セネガルにとって大切な目標の一つだと思います。

 

しばらくは
車に乗るたびにブレーキがかかるかビクビクしそうです。


f:id:hassy-juma:20180714084237j:image

📷ダカール市内を走るカーラピッドと呼ばれる小型のバス。派手なペイントでごまかされているけれど、かなり年季が入っています。

たくさんの失敗と、たくさんの発見。

雨季に入ったからか

インターネットの調子がよくありません。

ネットのあるときに
自分のペースで更新していきます。

 

さて、先月末に約1か月かけて準備した
イベントが終わりました。

 

ジョフィオール市にある青年会館で
日本の文化を紹介するイベントを開きました。

 

私が保健分野で
一緒に準備した同任地の隊員が農業分野なので
ただの日本祭りではなく
食と健康に関するお祭りを開催しました。

 

お祭りの内容をざっくり説明すると、

 

まず大きく分けて、
遊び、食、保健の3種類のブースがあります。

 

遊びブースには
輪投げ、射的、ぬりえの3つの遊びがあります。

 

まずは輪投げ。

 

輪投げの的にはいろんな食べものの絵が書いてあって、その的めがけて緑・黄色・赤の3色の輪を投げます。


野菜や果物など体の調子を整えるものには緑の輪を、お米や落花生などエネルギーになるものには黄色の輪を、お肉や牛乳など血や肉骨になるものには赤の輪を投げます。


子どもたちは、壁の掲示をみながら食品の色を探して狙いを決めます。

輪の色と的の食品の色をマッチさせるのがポイントの遊びです。

 

射的も同じように3食に分けられた食品の的に向かって
木の枝とゴムで作ったパチンコをつかってペットボトルキャップを飛ばします。
こちらは緑の食品だけを狙う遊び。

 

ぬりえは野菜の絵が書かれた紙を
にんじんやマンゴー、ハイビスカスなどの食品から作った絵の具で色塗りします。


星形が可愛いオクラのスタンプも人気でした。

 

次に食のブース。
こちらではお好み焼きとコロッケを販売。
どうやらセネガルの人にはコロッケの方が人気のようです。

 

また会場内を回って、
クレムと呼ばれる袋入りアイスも売りました。


砂糖不使用の、
マンゴーそのものの甘味を活かした自前のクレムです。

 

健康のブースでは「食べる」
ということに関係のある啓発活動を2種類。
手洗いと歯みがきです。
手洗いはその場で実践です。

 

子どもたちにとっては
ちょっとした遊びのようなものらしく
楽しそうに手を洗っていました。

 

そして、ブース以外にも出し物を2つ。


1つめはソーラン節。
隣町で教師として活躍する隊員が
生徒と一緒に踊りました。

 

2つめは空手。
なんとジョフィオールには
空手教室があるのです。
そこの先生に頼んで生徒たちに型を披露してもらいました。

 

途中で演劇のようなものも入り、
「一人だけ仕事をしない子に4人が怒ってケンカを挑む」
というストーリーも。

 

最終的に仕事をしない子が
見事な技で勝ってしまうのが何とも言えないところでしたが(;´∀`)

 

こうやって書くと
すごく充実したイベントのように見えますが
反省点がいっぱいのイベントになりました。

 

細かいことはたくさんあるけど
何と言っても集客の問題。

 

予定していた人数には到底及ばず。

その理由はすぐに分かりました。

 

イベントの数日前に雨季が始まりました。


雨季が始まると、ジョフィオールの人はみんな
畑へ行くんです。

 

雨季の始めに種を撒いて
雨季の終わりに収穫する。

 

1年の食糧を確保する大切な時期。

 

学校を休んででも
子どもたちは大人と一緒に畑にいきます。

 

そんな中、
イベントに来るのは難しいですよね。

 

通りで町中に人が少なかった訳です。

 

でも、
反省点だけではありません。

 

新しい発見もたくさんありました。

 

この日のために市内のいろいろところに行き、
いろいろな人と出会いました。

 

イベント後、町を歩いていると

 

「お祭りどうだった?行きたかったよ!」

 

と声をかけられることもしばしば。

 

気のせいかもしれませんが
シノワ(チャイナ)と呼ばれる回数が減り、
ジャポネと声をかけられることが多くなったような。

 

そして何よりも
お祭りに来てくれた子どもたちが楽しそうだったこと。

 

「お祭り楽しかった!」

 

と言ってくれたことが嬉しかった!

 

この日のために
セネガルの他の町から8人の協力隊員が
ジョフィオールに来てくれました。

 

子どもたちの笑顔は、みんなのおかげです。

 

本当にありがとう。

 

ジョフィオールの人はいまも

 

「もうみんな帰っちゃったの?」
「他の日本人は元気にしてる?」

 

とみんなのことを気にかけています。

 

きっと自分たちの小さな町に
日本人がたくさん遊びに来て
すごく嬉しかったんだと思います。

 

たくさんの反省と
たくさんの発見があった一日。

 

この失敗を活かせるように
これからまた新たなチャレンジです!



f:id:hassy-juma:20180714030924j:image

📷子どもたちに人気だった輪投げコーナー。ペットボトルの的とはぎれと針金で手作りしたリサイクル輪投げ。

f:id:hassy-juma:20180714030448j:image

📷クレムと呼ばれる袋アイス。マンゴーそのものの甘味以外は砂糖は一切使ってません。

ジョフィオールに雨季が来た。

昨日の15時前


お昼ごはんを食べ終わって

これから資料を持って
出かけようかなと思っていたとき、

 

「空が暗い、雨降るかも」

 

と、私より半年長くセネガルにいる
隊員がぽつり。

 

そして1分もたたずに
激しい風と砂ぼこり。

 

続いてトタン屋根を激しくうつ雨。

 

声を張らないとお互いの声も聞こえない状態です。

 

窓ガラスがないので
部屋の中は一気に砂っぽく湿気を帯びました。


こうして突然
ジョフィオールに雨季がやってきました。

 

話には聞いていたけれど、
雨というよりスコール。

 

セネガルに来てから
5回くらいパラパラと雨がチラついたことはありましたが

こんなのは初めてです。

 

「きっと1時間くらいでやむだろうな」

 

と思っていたら結局
19時過ぎまで降っていました。

 

雨が弱まったので
知り合いの家にいって話を聞くと

 

「だいたい30分くらいでやむことが多いんだけどね~」

と。

 

やっぱり今日の雨が異常だったのか、とちょっとホッとしたのもつかの間、

 

「でも今日はそんなに(量が)たくさん降らなかったから」

と。

 

え?今日の雨よりもっとつよいの?

 

恐怖の雨季の始まりです。

 

雨が降ると停電するので
ろうそくを買って帰宅。

 

電気もネットもないので
ろうそくを頼りにお風呂に入り、

砂だらけになったシーツを取り替えて
ベッドの上で明日を待ちます。

 

雨季の始まりの雨が降った次の日は
みんな畑にいって
落花生とトウジンビエの種を撒くそう。

 

明日はジョフィオール市民にとって
畑デーです。

 

3、4日すると
町のいたるところで草が顔を出して
砂色だった景色が緑色に変わるんだとか。

 

セネガルに来て初めての雨季。

 

雨ニモマケズ
風ニモマケズ

 

そして虫ニモマケズ


がんばれるかなぁ。

 

 
f:id:hassy-juma:20180628135819j:image 

📷空き缶にろうそくを立てて、ベッドに入る準備です。この記事が投稿できたということは、電気が復旧したということです。