le Murmure de Juma☆Jumaのつぶやき

2018年1月から青年海外協力隊のコミュニティ開発隊員として、西アフリカのセネガルに来ました。日々の生活や活動を通して思ったことをつぶやきます。セネガルで過ごす日々にどんな出会いが待っているのか。楽しいこと辛いこと歯痒いこと。これからの2年を通して、自分の心がどんな風に変わっていくのか。大きな挑戦への小さな歩みを記すためのブログです。

わたしが与えられるもの。

なんだかちょっと
寂しくて悔しい気分です。

 

この半年間、
自分なりにいろいろやってみて
上手くいかなくてもプラスに捉えて
次頑張ろうって思ってたけど、

 

一緒に歩くことって
やっぱり簡単じゃないんだなぁ。

 

自分がやりたいことのイメージだけは
膨らんでくけど、

 

ある日
自分が思うような反応をえられなくって

 

ホントにそれを形にできるのかなって
急に不安になったり、

 

ある日

自分が思ったよりもいい反応が返ってきて


急に気持ちが明るくなったり、

 

きっと
わたしと同じような日々を過ごしている人がたくさんいるんじゃないかな。

 

わたしが与えられるものってなんだろう。

 

それは分岐点だと前に書いたけど、

 

分岐点をもらったからって
山を登らなきゃいけない今の状況は変わらない。

 

でももし
水と食糧とおいしい酸素をもらったら
今の状況はがらっと変わる。

 

でも、食べ終わったら
また歩き出さなきゃいけない。

 

次はきっと前よりももっと早く
水と食糧と酸素が欲しくなる。

 

それじゃ意味がない。

 

でももし、
いまこの時、水がなければ倒れてしまいそうなら、
分岐点よりも水と食糧とおいしい酸素なんだろう。

 

だって無理して歩いても
分岐点までたどり着けなかったら
意味がないから。

 

いま本当に必要なもの。


それを分岐点だと思う人には
ゴールにたどり着いたときの笑顔がきっと待っている。

 

それを水と食糧と酸素だと思う人には
笑顔と感謝の言葉が返ってくる。

 

自分の見ることのできないだろう未来に希望を乗せて
せっせと道を作る。

 

「こいつ何してるんだ?」
「そんなことしてるなら水をくれ!」

と思われても。

 

いつかこの人の道のどこかで、
この分岐点が役に立ってくれると信じて。

 

でもやっぱり
水を運んできた人に向けられる
満面の笑みと感謝の眼差しをみると

 

ちょっと寂しくなる。

 

今日はそんな日でした。

 

でも一つ、いいこともありました。

 

毎月、地道に提出している活動レポート。
配属先のトップからの返信メールに、

 

いつも分かりやすいレポートありがとう。
君の考えているプロジェクトは私たちにとって大事なことだから、一緒に経過を追っていこう。

 

と書いてありました。

 

例えお世辞であっても
今日の私には沁みました。

 

忙しくて、なかなか会えないから
本当に一緒になにかできるのか分からないけど、

 

もし一緒に歩いていけるなら、
私に与えられるものは、惜しみなく与えたい。

 

それはモノじゃなくて、いろんな方法。

 

雨から飲料水が作れるよ、
とか、

 

あの植物は食べられるんだよ
とか、

 

こうやって息を吸ったら呼吸が楽になるよ
とか、

 

そうゆうこと、

 

そうゆうことなんだよなぁ。


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📷最近の通勤時の風景。雨季が始まって1か月でだいぶ緑が育ちました。動物たちが私の癒しです。